変わっていないこの一年
全く変わっていない。
今日久しぶりに自分のはてなブログに舞い戻ってみたら、
全く同じ悩みから一歩も前進していないどころか、
軽く後退気味。
約一年前のブログ ↓
セルフ 行動療法?
問題は、脳のイメージ通りに身体を動かしたくないという、
スーパーエゴアレルギー症候群
って、今自分が陥っている状態もまるっきり同じ状態で。。
いやー、ブログって面白い。
母の介護をしつつ、自活目指しつつ、あわよくば起業とふらふらと頑張っていたけど、
昨日はとうとう仕事を辞めてしまった。
いきなりの辞めますで自分も雇い主もびっくり。
こんな衝動性が自分の中にあったとは。
自分で自分にびっくりしすぎて部屋を片付ける気にもならず、
母に対してものすごいイライラしながらネットをうろうろするという垂直降下中。
よくある虐待事件の周りには、無職な人が多い気がする。
無職になってよりストレスフルな家にこもっては絶対ダメなんだろう。
「自分を客観視するために書かなくてはいけない」
約一年前の自分の言葉、この言葉にここで出会うとは思ってなかった。
つい三日ほど前に受けたコーチングセッションでの次回テーマが「書く」だった。
来週以降、コーチにレビューをお願いしつつとにかく自分の状態や思いを書いてみよう、書き続けてみようと思ったのだが、
仕事ブッチで収入が絶たれ、コーチを断り、ここにたまたま舞い戻り、
「書くこと」をやっぱり一年ほど前に決意していた自分がいたんだな。
それで「書くこと」に頓挫していたんだな。
書けば自分を律することができるのか。
いやいや、ちょっとまて、「書くこと」の目的は自分を律することではないんじゃないのかな。
何度も律しようとしてそのたびに外れてきたじゃん。
→ 自分
前回、「書くこと」によっ自分を律して自分の命ずるがままに行動して自分の理想を粛々と実現することを目指してさっそく頓挫したんだよ。
自分はどうしたいのか、
自分はどう感じているのか、
書くことによってまだ気づいていない自分の本音に向き合うことができるのか。
今感じてるのは無力感。
「何もしたくない」「この先やらなければならないことのうず高さに嫌気しか出ずに座り込んでいる」「洗濯して部屋を片して庭も畑も母も私もお金も仕事も社会活動も将来も過去の清算も・・無理無理!と頭の中の片隅で意識がひたすらぐるぐるとしている」
「ネット見るべきじゃないと思うほどにネットをわざと見てる自分」
「さっさと寝る時間、好きな時間に起きる自由を満喫できない自分」
「これから起きる不都合をどうにもできない自分を思ってそのかなり具体的な不安から目をそっとそらしている自分」
「なにかが拮抗して運動化できない自分」
「なにかに反発して後ろ向きにひたすら行動し続けている自分」
もっとなんかほかにもある気がする。